今日から春彼岸会
お彼岸の「入り」です。
今日も早朝よりお墓参りの方がおみえです。
お彼岸の入りやお中日には多くの方がお参りに来られます。
そこで偶然顔を合せた方々が
「お久しぶりですね」と旧交をあたためる姿も良くお見受け致します。
やはりお彼岸もまた、御供養だけにとどまらず奥ゆかしい行事です。
春分の日と秋分の日をお中日として、その前後3日づつ
合わせて7日間がお彼岸会となり、
春と秋にございます。
この世、此の世界を「此岸」といい、
それに対して「彼の岸」と申しますと、
通常は御先祖様のいらっしゃる「あの世」また「極楽」を考えてしまいますし、それも間違いでは御座いません。
しかし「彼岸」にはもっと色々な意味があって
それは、海の向うにある「お釈迦様のお住いだったインドの地」また、
お釈迦様の理想とした教えが実現した(平等で平和な)世界などの意味もふくまれます。
『西方浄土」という言葉が御座いますが、それはいにしえの方々が、お釈迦様のお住いだった遠い天竺(インド)と、仏法の理想の世界、そして「あの世」を一つに考えて、おおまかなインドの方角を指して、素晴らしい世界が西にあると考え出来てきた言葉です。「西方」「西国」「西天」、色々な言い方がありますけれど、それぞれに同じような意味を含みます。「西の方角」そのものに思い入れが生まれていたのでしょう。
(諸説は御座いますが、)お彼岸がなぜ「春分の日 秋分の日」に因んでいるかは、その「西方」と関係があるのです。
いにしえの方々は、昼と夜が同じ長さとなり、真西に太陽の沈むその期間、日没向かって手を合わせ、「西方」を想い、仏縁を感じ、またお墓参りなどの御供養も致すようになったのだそうです。
このような「西」。
今考えれば、中国から見ての「西域」やシルクロードの向うにある「欧州」までも、なんとなく混同されていたように思えます。「西遊記」しかり、今の時代でも遙か向うの世界を想像し困難な旅に思いを馳せれば、なんとなくワクワクして来るものですね。
また、「三途の河」は、中国での仏教思想と民間伝承が合わさって生まれたものですが、しかし、この世とあの世を隔てる「河」また「海」の存在は、様々な国や地域の神話に現れる普遍的な概念です。
日本は島国ですので、現実の世界の諸外国も凡て大海を隔ててありますから、遠い未知の世界である「彼岸」に対する畏れも憧れも、現実と想像、綯い交ぜで在ったのでしょう。
由来はそのような事で御座いますけれど、ややこしい事は抜きにしても、春と秋の移り変わりの季節に、お墓に詣で、御先祖様に御挨拶致し、そ墓所で近隣の方々や以前から親交のある方々と顔を合せる。そして今自分たちが「此岸」に生かされていることに感謝する。
「彼岸会」は今も昔もかわらぬ大切な行事だと思います。
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ところで、写真は当寺山門前の「普賢象様」
常楽寺の御本尊様の釈迦様の左に脇侍としておわす
「普賢菩薩様」の乗っている象さんです。
普賢菩薩様はお釈迦様の「慈悲心」優しさを表す仏様で
象は「大きくて力持ちだけれど穏やかで優しい」という意味で
「慈悲心の象徴」となっております。
「人が人に優しい世の中でありますように」と願って
山門正面に鎮座頂いております。
象さんの頭と背中のお飾りは
「この象さんに合う、普賢象様らしいお飾りはないかなあ」と
私が色々さがしていた時に
お檀家の方が手作りして下さったものなのです。
お彼岸や、お盆の時、また大きな行事のあるとき
大切にお飾りさせて頂いております。
住職敬白